タニタ食堂につながるタニタの歴史②

父(谷田大輔)は1966年に当時の株式会社谷田製作所に入社。その後数年間でヘルスメーターのシェアは1%から約25%に(1968年にヘルスメーターの生産台数が100万台を突破:今回の写真)。詳細はまたどこかで書きますが、新規の販売ルートを開拓したことによって、大きくシェアを伸ばします。

その後も順調に成長してきたタニタですが、1983年創業以来2度めの赤字となり、ここで谷田大輔が副社長(実質の代表取締役)に就任。事業ドメインを「体重計」から「体重」に転換。事業ドメインが「体重計」となっていた時には「耐久性」「精度」を追求していたが、「体重」とした時に、「体重とは何か?」「どうしたら増減するのか?」という問いかけに変わった訳です。それを探るべく1990年に体重科学研究所・ベストウェイトセンターを開設。このベストウェイトセンターから、タニタの社員食堂は生まれることになります。まさに、タニタがイノベーションを生む下地が出来上がった瞬間です。

タニタヘルスメーター

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この記事を書いた人

株式会社タニタの創業ファミリー。
同社の営業・新規事業・新会社立ち上げ、海外における役員経験を経て独立。株式会社タニタ前代表取締役社長の最も近くで、その経営学を学び、赤字企業だったタニタを成長させた「タニタの成功法則」を受け継いできた。

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